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2019年9月1日日曜日

古き良き街並みに、忘れてはならない祭りの原風景を見る。一戸まつり2019

一戸まつりに行ってきました。
今年初めて、岩手県一戸町の秋祭り「一戸まつり」に行ってきました。小さいながらも手が込んだ立派な山車には、地域社会や神様への感謝が込められているようです。そこには、八戸三社大祭ではもう見られなくなった古き良き文化が息づいていました。初めて見た一戸まつりから感じたことを綴っていきます。


盛岡型山車の最北端の地
青森県南や岩手県北の各地域には、八戸三社大祭のような「風流山車」と呼ばれる山車が登場する祭りがいくつも点在しています。風流山車の「風流」とは、「見物客を喜ばせるために毎年山車を作り変え、人形に綺麗な衣装を施す」ということ。
この風流山車には二つの系統があり、青森県と岩手県太平洋側では四輪の土台に多くの人形が載った「八戸型」の山車が、岩手県内陸部では木製の大八車に人形が数体載った「盛岡型」が現在でも受け継がれています。
八戸型の山車(八戸三社大祭)
八戸型は年々新しい技術を取り入れているのに対し、盛岡型は祭りの原風景ともいうべき姿を留めつつも毎年新しい山車を制作し続けているようです。
一戸は、この「盛岡型」の最北端だそうで、木製の大八車に載った山車が昭和を思わせる一戸の町を練り歩きます。



神様に気づいていただき、
感謝を伝えたい。
八戸型にしても、盛岡型にしても、山車に綺麗な装飾を施すことは共通しています。岩手〜青森県南の山車まつりは殆どが豊年満作に感謝する神輿渡御の秋祭り。神様を主役とした「神事」で、氏子たちが作る山車は神様のお供という位置付けです。なぜ山車を綺麗で豪華にするのかというと「神様に気づいていただき、降りてきていただくため」なのだとか。


八戸三社大祭は、明治時代にコレラが流行した翌年に厄祓いのために風流山車が作られ始め、さらに大正時代に山車の審査が始まったために山車の大型化が進みましたが、盛岡型の山車は審査がないために大型化がそれほど進まず、現在でも神事としての姿が色濃く受け継がれているのかもしれません。そういう意味では、盛岡型の山車を受け継ぐ一戸まつりの姿は、風流山車の原風景と言っても良いかもしれません。

神輿の一部分。この中に、神様がいらっしゃる。

昭和を思わせる街並みに
祭りの原風景を見る
一戸まつりは、地元の八坂神社と稲荷神社が合同で行う「二社大祭」で、毎年8月末の金土日に行われます。参加する山車組は5組。大勢の人たちがキチッとした袢纏を身にまとい、山車を引きます。二台の神輿と5台の風流山車、そしてそれに郷土芸能が華を添え、昭和を思わせる街並みに華やかな空気が流れます。八戸の祭りもきっと大昔はこんな姿だったのだと思います。目に前にまるでタイムスリップしたかのような風景が広がり、三社大祭が大好きな一人の八戸市民として、深い感動を覚えました。

行列の先頭は消防。火の用心!
個人的に萌えたのは、山車と山車がすれ違う場面!合同運行では、一直線の運行経路を山車が折り返し、同じ道を戻っていきます。このとき、対向車線(?)から向かってきた山車とすれ違う場面が!折り返してきた山車が通りすぎるのを、出発地点から向かってきた山車が待ってるんですよね。で、すれ違う瞬間にちょっと斜めに動いてよけるんです。なんつーか、マジで萌えました、ほんとに。この感じ、だれかわかってくれるかな・・・。
祭りの真髄はそれに取り組む地元の人々の表情にこそ現れると思います。一戸の山車を懸命に引っ張る人たちの姿も本当に素晴らしかった。大きな山車を人力で動かすのは本当に大変だと思いますが、だからこそ皆さん本当に良い表情をしている・・・・お祭りに対する情熱が脈々と受け継がれてきたことが感じられました。






地域社会への深い感謝、門つけ。
そして今回もっともジーンときたのが「門つけ」の場面です。僕と知人は、野田組さんの門つけに勝手について歩きました。(山車絵を下さった野田組のかた、本当にありがとうございました!この場を借りてお礼申し上げます。)
5台の山車は、合同運行が終わるとそれぞれの町内に繰り出し、住宅街の中に入っていき、町内での運行を始めます。八戸ではこれを「門つけ(かどつけ)」と言いますが、一戸でも同じ呼び名でしょうか?(詳しい人教えてください)
そして、山車が止まると、マイクを持った人が町内の人々に対して「今年もご支援いただきありがとうございました。おかげで今年も山車を作ることができました」と感謝を述べ、木遣音頭を披露します。
八戸三社大祭でも平成14年頃まではこの光景が見られたそうですが、現在は山車の大型化の影響で、山車を伴っての門つけは行われていません。八戸では現在は山車は伴わず、人だけで門つけを行なっています。
この「山車と一緒に門つけをする姿」は、昔の八戸三社大祭の姿を見ているかのようで、本当にジーンと来るものがありました。そして「感謝を伝える」という祭りの本来の姿を一戸まつりで見ることができ、ほんとうによかったと思います。

門つけでは、実り始めた田んぼの横を山車が通る場面も。マジで、いい感じです。ほんとこれ見られてよかった。萌えた。
一戸まつりでは、ほぼ全ての商店・個人宅に軒花(のきばな)が飾られていました。町中に軒花が飾られ、町全体でお祭りの開催をお祝いしているように感じました。中心街でも、住宅街でも、大手のホームセンターでも軒花が。写真は撮りませんでしたが、祭り本部にも「まつり本部」と書かれた大きな提灯があったりと、一体感があってよかったです。

古き良き街並みを、山車が練り歩く。
だんだんと夕方になってきました。祭りはまだまだ続くようです。
野田組から離れ、今度は本組さんに付いて歩くことに。

味のある一戸の街を、哀愁漂うお囃子を鳴らしながら山車が通っていきます。
暗くなってくると、山車もライトアップ。
一戸の山車にはどこも牡丹の花(?)が付いているようです。花の「しべ」に電球が仕込まれていて、これがとっても綺麗でしたー!
夕日の中を進む山車。もうすぐ夜ですが、まだまだ運行は続くようです。合同運行が始まった午後2時からほとんど休憩なしで夜まで続きました。ほんと、お疲れ様です・・・!
町内での運行が終わり、山車小屋に帰ってきました。
山車を山車小屋に収めると、メンバー一人一人が山車の前で木遣音頭を歌い始めます。この日は祭り最終日。木遣音頭を聞いた町内の人たちが家から出てきて名残惜しそうに山車を眺めている姿が、また、これが、ほんとよかった。
最初に歌ったのは男の子!すんばらしい歌声でございました!!
ではその様子をノーカットでご覧ください。11分くらいあるんで、ちょっとだけでもご覧になってみてください。

祭りの原風景を残す、味わい深い秋祭り。
山車が通った後には、道路に何本もの跡が残ります。これもまた、祭りの余韻を感じさせる風景の一つ。
八戸三社大祭もその昔は山車が小さく、門つけでは山車と山車がすれちがい、競い合うようにしてお囃子を演奏した場面があったと言います。八戸は山車を大きくすることで祭りを盛り上げていく道を選び、発展してきました。それに対し一戸の祭りは、古いスタイルを守り続けて現在に至っているということなのだと思います。そのどちらも、本当に素晴らしいと感じます。
お祭り関係の知人の誘いで初めて訪れた一戸町。そして初めて見た一戸まつりは、大昔の八戸の姿を見ているかのようで本当にグサっと刺さるものがありました。来年も、タイムスリップをしに訪れたいと思います。来年は電車で行って、お酒を飲みながら見てみようかな🍺


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