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2019年2月27日水曜日

八戸えんぶりで塩町えんぶり組が必ず立ち寄る場所とは?塩町和合組って何?(2019)

塩町えんぶり組の門付けに同行しました。
八戸市中心部柏崎地区に宿を置く塩町(しおちょう)えんぶり組。
とても丁寧でドラマチックな摺り、指先にまで意識が張り巡らされた子供達の祝福芸、息の揃ったお囃子がとても素晴らしいえんぶり組です。
数年前に塩町えんぶり組のロビンさん(仮名)の太鼓演奏に感銘を受け、SNSで「塩町の太鼓まじやべえ!」と騒いでいたらロビンさんと繋がり・・・・そして、昨年からは宿にもお邪魔させていただけるようになりました。これからもずーっと応援していきたいえんぶり組の一つです。
この塩町えんぶり組が、八戸えんぶり期間中の門付けで必ず最初に立ち寄る場所があると言います。
その場所とは?そして、なぜ最初に立ち寄るのか???

えんぶり組と屯所の関係
塩町は城下町八戸の中心部に位置する地域。
「塩町」と呼ばれるようになったのは、南部八戸藩が管理する塩蔵(しおぐら)があったからだとか。今のNTTがある辺りです。
久慈や南浜で生産された塩が運ばれ、保管していた場所だったそうです。へー!

塩町には、えんぶり組の他に、八戸三社大祭の山車組「塩町附祭(つけまつり)」があります。
えんぶり組も山車組も地元柏崎地区にある消防団の屯所を拠点としていて、えんぶり組・山車組・消防団を3つをあわせた総称を「塩町和合組」と呼ぶそうです。
この「和合組」の名称は明治時代から使われてきたものなのだとか。


その昔、八戸の城下町は道路が整備されておらず、火事が相次いだそうです。
そういう中で地元消防団の役割はとても大きく、現在でも塩町では消防団が活動を続けています。
和合組とはもともとは消防組織の名称だったようです。
その拠点となるのは、屯所。


塩町えんぶり組はこの屯所を活動の拠点とし、毎年10月からはじまる練習もこの屯所で行われています。


2月17日、門付けの前に必ず立ち寄る場所
塩町えんぶり組では毎年2月17日の八戸えんぶり初日、奉納や一斉摺りが終わった後に屯所に戻り門付けに出発します。その門付けの前に、必ず立ち寄る場所があるそうです。


それが、八戸を代表する郷土史家、故 正部家種康(しょうぶけ たねやす)氏のお宅。
塩町えんぶり組では必ず、正部家氏宅に立ち寄ってから門付けに出発します。
太夫による摺りや祝福芸など、一通りの演目を全て披露します。


これが本当のお庭えんぶり!





ではなぜ、正部家氏宅に最初に立ち寄るのか。
塩町和合組が2007年に発行した「塩町三百年 和合組百三十年」の記念資料にはこんなことが書いてありました。

柏崎新町にあった塩町屯所は、平成十年度、八戸市消防予算で、「塩町屯所の新築」が認められ、柏崎三丁目地内の市有地(正部家種康氏寄付)に、平成十一年三月に移転した。

現在の塩町の屯所がある場所は、もとは正部家氏の私有地であったことがわかります。
ロビンさんに話を聞くと、なぜ正部家氏のお宅に最初に立ち寄るかはわからないそうですが、組の伝統としてずっと続けてきたことなのだそうです。少なくとも60年は続いている組のしきたりなのだとか。
ということは、屯所が移転するずっと前から、このしきたりが続いてきたということになりますね。


この屯所がある一帯には月極め駐車場や幼稚園がありますが、その昔は田んぼが広がっていたと言います。そのほとんどが正部家氏の土地なのだそうです。
おそらく田んぼが広がっていた時代から、正部家氏と消防、そしてえんぶり組との繋がりが続いていたということではないでしょうか。
うーん!この先が気になる!機会があれば正部家氏と塩町えんぶり組の関係についてちょっと深く聞いてみたいです。


本当のえんぶりは、地域との繋がりの中に
えんぶりの歴史は800年と言われていますが、確かな記録はないそうです。もっとも古い資料は江戸時代の藩の日誌に「お姫様がお亡くなりになったが、町や村における田植踊は行っても支障ない」と記されたもの。この「田植踊(たうえおどり)」がえんぶりなのではないかと考えられているそうです。
これは正徳5年(1715年)のことなので、300年ほど前にはえんぶりは存在したということのようです。
が、800年の歴史があるという確かな情報は、今のところないそうです。


僕はただただ太夫の格好良さや、子供達の可愛らしさなどに魅力を感じてえんぶりの写真を撮り続けてきました。
学生時代は歴史の授業なんてこれっぽっちも頭に入ってこなかったし、郷土史にはあまり興味がありませんでした。

しかし、お祭りの写真を撮り続けていると、祭りに取り組む人たちがどれだけ強い気持ちを持って取り組んでいるのかが見えてきます。そしてさらに、その先には地域との繋がりが見えてきます。


そういったものを知った上で祭りを見ると、なんか、すんごい感動するんですよね。


んでかわかんないけど、あぁ、昔の人たちもこうやって祭りを楽しんでいたんだろうなぁ。今この瞬間がいずれは「大昔」と呼ばれるようになって、歴史が重みを増していくんだろうな・・・って、思います。


だからきっと、このしきたりも、絶やしてはならないのでしょう。理由はわからないけど脈々と受け継がれているものが、えんぶりにはたくさんあります。
今、八戸市教育委員会はえんぶりの資料を広く募集しているそうです。
昔の人々がどんな思いでえんぶりを始めたのかはわかりませんが、今を生きる人たちがえんぶりに対して感じている思いは残していかなければいけないなって思います。教育委員会の活動が、いずれはえんぶりの歴史に新たな発見をもたらすと良いですね・・・!
・・・・と、結論が出なくなりました。


とにかく!塩町と出会えて本当に良かったです!
塩町えんぶり組特集は次回の記事に続きますので、気長にお待ちくださーい!


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