中居林えんぶり組の太夫の表情をお届けします。
僕がえんぶりが大好きになったきっかけとなった組が、中居林えんぶり組です。この組の良さは言葉になりません。
ポスターなどの媒体にもよく使われる人気のあるえんぶり組です。計算し尽くされた美しい摺りでありながら、その一瞬一瞬に新しい発見や感動がある、奥の深い組でもあると思います。舞い手が変わるだけでもかなり雰囲気が変わります。
今回は、僕が毎年八戸えんぶりで最も多くシャッターを切るえんぶり組、中居林えんぶり組の太夫の表情をお届けしていきます。
中居林の魅力は「型」と「ひと」にあり
「型」とは、摺りの動作や衣装などのこと。「ひと」とは、烏帽子をかぶって太夫となり、摺りを披露する人たちのことです。
僕は2012年からえんぶりの写真を撮り始めたので、まだえんぶりファン歴は短い方です。なので深いことはよくわかりません。
まず第一に惹きつけられたは、中居林の「型」の美しさ、そして格好よさでした。赤と紺のアクセントが効いた、引き締まった印象のある太夫。そして張り巡らされた緊張感の漂う、一糸乱れぬ動き。
他のえんぶり組とは明らかに異なる様式美が、中居林えんぶり組の摺りにはあります。
田植えは中居林。
「型」の話を続けます。「田植えは中居林」なんて言うと他の組の方々に怒られるかもしれません。もちろん、例えば囃子は福田上が良いとか、恵比寿舞なら上組町、八太郎、東十日市とか、それぞれの組ひとつひとつを掘り下げていくと、全ての組に他にはない良さがあります。
で、あくまで僕個人の好みの話ですが、「田植え」の演目は、中居林が一番好きです。
田植えとは、その名の通り、田んぼに稲を植える所作を延々と繰り返す演目で、一見とても単純に見えます。
ほとんどの組が激しく烏帽子を降りながら、勢いよく苗を植えていきます。
しかし中居林は、他の組とはかなり雰囲気が違います。
中居林の田植えは5人の太夫が同じ動きをします。左手に手ぬぐい、右手に苗に見立てた扇子を持ちます。リズムに合わせて烏帽子を左右に降り、一糸乱れぬ動きで丁寧に苗を植えていきます。
腰を低くして舞うので、腰が痛くなります。今は耕運機がありますが、昔はこんな姿勢で苗を植えていたのでしょうね。
そして注目すべきはここ。烏帽子の角度、太夫の目線、左右の手の高さ、腰を屈める高さ、全てが完璧に揃っています。目線にまで気を配っている組は、あまり多くないのではないかと思います。もっと細かく言うと、手ぬぐいの持ち方も細かく決まっているようです。
勇ましい動きとはまた違ったシンクロナイズドスイミング並みにカチッと揃った動きは、中居林の特徴ではないかと思います。
摺りにも言えることですが、こうった他の組とは違う雰囲気を漂わせる「型」を作った大昔の人たちってほんとすごいと思います。大昔に作られた型が、21世紀を生きる私たちにも「かっこいい!」と感じさせるのですから。
受け継ぐ「ひと」たちの素晴らしさ
「型」の話をしました。次は「ひと」の話です。
他の組とは一線を画す動きをする中居林えんぶり組の型を守るのは、今まさに中居林えんぶり組で太夫をやっている方々や親方衆です。もちろん笛、手平鉦(てびらがね)、太鼓などの囃子方も、祝福芸を披露する子供達や、組の運営を支える地域の人たちも、中居林の「型」を守り続ける「ひと」たちです。今回は太夫に焦点を当てているので、太夫に絞って綴っていきます。
八戸えんぶりを目前に控えたある日、宿(練習場所)にお邪魔しました。僕は今まで10組前後のえんぶり組の宿にお邪魔したことがありますが、中居林の太夫の練習は特に入念で、素人目では違いがわからないほどに細かく細かく練習・指導を行なっていきます。
全ては「型」を守り続けるためなのだと思います。えんぶりは伝統芸能。伝統芸能は人づたえに受け継がれていくものですから、少しでも型破りなことをしたり、型を崩したり省略したりするようなことがあってはなりません。
中居林地区では、昭和59年から地元中居林小学校に「えんぶり部」を設立。以来30年以上にわたって、中居林えんぶり組の方々が指導にあたっています。そして子供たちが中学校に上がると、今度は「中居林えんぶり組」のメンバーとして烏帽子をかぶる子もいるようです。
こういった人から人へと受け継いでいく機運が、中居林えんぶり組には深く根付いています。
型を守る姿勢から滲み出る個性
型は頑なに守っていかなければなりませんが、それを受け継ぐのは「ひと」です。そして「ひと」が取り組むことには、必ず「個性」があります。ロボットではありませんから、それはまるでジャズのセッションのように毎回毎回違います。そして烏帽子をかぶる人によっても違いが出てきます。
2017年の写真2枚を見比べてみます
こちらは若手の藤九郎さん。(藤九郎:主役の太夫)
こちらはベテランの藤九郎さんです。
どちらも同じ瞬間を捉えた写真ですが、若手の方は力強さが、そしてベテランの方は重みがあるように感じます。なんとなくですけどね。
手に持っているジャンギ(藤九郎の持つ木の棒みたいなやつ)の存在感が違うようにも見えます。なんとなく・・・なんですけどね。
そしてこちらは今年2018年の写真。
全ての演目が終わり、二人の太夫が「畔(くろ)どめ」をしている様子。畔どめとは、田んぼの端から水が漏れたりネズミ穴が開いたりしないようにしっかりと蓋をする所作。
他の組は一人で披露しますが、中居林は二人で行います。
口上を述べながら地面に願いを擦り込むようにカンダイ(太夫の持つ木の棒)を動かす仕草は、本当に感動的。
この畔どめも、若い子たちがやるのと、ベテランたちがやるのでは、味わいが違います。今年の「お庭えんぶり」の大トリは、中居林えんぶり組と内丸えんぶり組でした。
中居林えんぶり組の最終公演は「ベストメンバー」で行われたのですが、ベテランが披露する畔どめの、口上の間の取り方、安定して重みのある動きは本当に格好良くて、もう写真を撮っているよりもこの目で見たいと思うほど感動しました。畔どめが終わった瞬間、僕は「素晴らしい!!」と大声を上げてしまいました。(若干客席から注目を浴びました)
そしてもちろん、若い子たちが披露する畔どめも、本当に感動的でした。気持ちを落ち着かせて堂々と口上を述べ、二人揃って息を合わせて披露する姿に、ウルっときました。
このように、「型」とは無機質なものなのかもしれませんが、そこに味わいだったりぬくもりだったり、感動だったりを加えるのは、それに取り組む人たちの情熱と「個性」があってこそなのだと思います。滲み出る個性にも、僕は感動しました。
型を守り続ける人々の姿にこそ、えんぶりの感動がある
今回は中居林えんぶり組の太夫に焦点を当て、「型」と「ひと」という二つのキーワードで中居林の魅力を綴ってみました。
中居林の太夫はどの瞬間を切り取ってもシビレるほど格好良く、様になります。
そして摺りを披露する太夫の表情は本当に真剣そのもので感動的。
この記事だけでは語りつくせない程に奥が深い中居林の摺りは、その「型」を作り出した先人たちのセンスの良さと、そしてそれを受け継ぐ「ひと」たちの精神によって守られ続けています。
この灯火を絶やさず継承し続ける人たちにも、一人一人に個性があり、味がある。ここがまた、えんぶりの面白いところです。
だから、毎年毎年同じことをやっているように見えても、えんぶりというのは毎年毎年違います。
一つの組みにとことん密着すると、色々な発見があります。そしてその発見を経てえんぶりの本番を目にすると、感動は10倍にも100倍にもなります。
「芸の道に終わりはないと実感した」と、中居林の若手の藤九郎さんは仰っていました。この、伝統を追い求める精神が中居林えんぶり組には脈々と受け継がれてきたのだと思います。
僕の来年に向けての課題は、藤九郎の動きをしっかりと覚えることです。藤九郎の動きにはもっともっと格好良い瞬間がいっぱいあるはずです。なので、これからも中居林えんぶり組を応援し続けて、もっともっと深い部分を写真に収めることができたらと思っています。
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