ページ


管理人からのお知らせ

当ブログに掲載している写真の無断使用・無断保存はご遠慮ください。ご使用になる前に、必ずご一報ください。

■各種ご連絡やご依頼、ご感想などは、メールフォームから

2018年3月1日木曜日

2018年の八戸えんぶりで感動した瞬間ダイジェスト!


スポンサーリンク

今年の八戸えんぶりで感動した瞬間を振り返ります。
青森県八戸市で毎年2月17日から20日まで行われる八戸えんぶり。今年は八戸市をはじめとする県南各地から33組ものえんぶり組が参加し、例年以上に冷え込む八戸に春を呼び込もうと、市内各所でえんぶりを披露してくれました。
えんぶりは、基本的に屋外で披露する伝統芸能。凍てつく寒さの中で春を願って舞う姿は本当に感動的です。
そしてその寒さこそ、えんぶりをより一層感動的なものにしてくれます。
今回の記事では、2018年の八戸えんぶりで僕が目にした「感動的な瞬間」を、涙をこらえて撮影したベスト写真と共に振り返っていきます。


猛吹雪の中で完璧なステージを見せた、鳥屋部えんぶり組
初日の2月17日は、夕方までは穏やかな天気だったものの、夜はこの冬一番の猛吹雪になり、歩いているだけで衣服に雪が積もるほどでした。
そんな過酷な天候の中八戸市役所前広場で行われた「かがり火えんぶり」。20時スタートの最終公演には階上町(はしかみちょう)の「鳥屋部(とやべ)えんぶり組」が出演しました。

降り止まない吹雪の中で、主催者側からは中止の提案もあったそうですが、時間短縮での公演を決行。
途中で帰る客もなく、客席からは「頑張れー!」という応援の声が上がる場面もありました。


そんな中で、途中で中断もせず、しかも予定よりも演目を増やして、完璧なステージを見せてくれた鳥屋部えんぶり組。
これこそまさに八戸えんぶりだと思わせてくれる、素晴らしいステージでした。

横町えんぶり組の子供達との再開
八戸市の横町えんぶり組。横町えんぶり組の方々とは面識がないのですが、なぜか数年前に子供達と仲良くなり、それ以来毎年八戸えんぶりで再会を果たすと「久しぶりー!」と声を掛け合います。大人とは繋がっていないのに・・・。
今年も彼ら彼女らは、僕を見るなり声をかけてくれました。
そして、再開の記念に一枚。今年も彼らは「変顔」をしました。こういった、子供達の生き生きとした表情が見られるのも、えんぶりの魅力の一つだと思います。普段は可愛らしい子供達が、えんぶりの衣装を着てもっと可愛くなる。そして生き生きとえんぶりを楽しんでいる姿は、本当に感動的です。横町えんぶり組の大人の皆様、今度ぜひ宿にお邪魔させてください・・・。子供達とは毎年仲良くさせていただいております。

子供太夫が、大人の太夫に仲間入り。
こちらの写真は2015年の八戸えんぶりで撮影した、中居林小学校の子供達。中居林小学校では地元中居林えんぶり組の親方衆が指導にあたっているそうです。
写真は、親方に烏帽子をつけてもらっているところ。

そして3年後の今年2018年、彼らは「小学校」ではなく「中居林えんぶり組」の太夫のメンバーとして八戸えんぶりに姿を現しました。
とても難しい中居林の摺りを、社会人の先輩たちと共に披露したのです。


これこそ、800年続いてきたとされる「えんぶり」がまさに「継承」されている姿です。そして長い伝統と格式高い中居林えんぶり組の摺りを堂々と披露している彼らの姿は、本当に感動的でした。


少し不安そうではありながらも凛々しさも感じさせるその表情や摺りに、深い深い感動を覚えました。
八戸地方で脈々と受け継がれてきた伝統芸能「えんぶり」の未来を感じさせる、とても感動的な出来事でした。

荒谷えんぶり組が復活!!!!
八戸市南郷島守地区、ここには「荒谷えんぶり組」があります。南郷地区は、僕にとっても特別な思い入れのある地区です。荒谷えんぶり組は、人口減少が著しい山間部にありながらも、その熱心な指導や地域の人々の取り組みによって今でも多くの子供達が所属するえんぶり組です。
そしてこの組の名物親方といえば、南郷地区の郷土芸能保存会の会長も務めた春日孝臣(のりお)さんでした。



デーリー東北の2月18日付の報道にもありましたが、春日親方は2016年11月に急逝。
大黒柱を失った荒谷えんぶり組は、翌年2017年の八戸えんぶりには参加しませんでした。えんぶりは「お祝い事」だからです。
僕は毎年荒谷えんぶり組の宿(荒谷集会所)にお邪魔しています。そして練習の後、ストーブのそばで毎年春日さんとお話をさせていただいていました。荒谷に通い続けてかれこれ10年ほどになります。
何よりも地域の子どもたちを愛し、郷土芸能を愛し、「規律を守ってこその伝統芸能だ」と熱く語る春日さん。荒谷の練習はいつも8時ぴったりに終わり、子供達はおやつを受け取って家に帰ります。「家で宿題をする時間のことを考えることも大切だ」と春日さんは仰っていました。
人口減少が著しい中で荒谷えんぶり組に多くの子供達が集まり、そして元気に活動を続けられたのは、春日さんの実直なお姿があったからこそでした。


そして今年2月。2年ぶりにお邪魔した荒谷集会所には、春日さんの姿こそなかったものの、いつも通りに練習に取り組む荒谷えんぶり組の姿がありました。
新しい親方のもとで再出発した荒谷えんぶり組は今年、同じ南郷地区にある市野沢に初めて門付けに行くなど、新しいことにも挑戦したそうです。


思いを新たに活動を再開した荒谷えんぶり組。きっと春日さんの残した伝統が、この組の活動を今後も支えていってくれると思います。
旧南郷村は、みんなが家族のような雰囲気のあるのどかな地域です。家族を失うことは、とても辛いことです。しかしそれでも、悲しみを乗り越えて人は生きようとする。そしてえんぶりを続けようとする。
この地にずっと息づいてきたえんぶりは、地域にとって「当然のように存在するもの」なのかもしれません。
しかしそれを維持し、継承していくことには、並々ならぬ努力が必要です。えんぶりは伝統芸能という枠を超えた、豊作を願う祈りの祭り。地域の発展に深く根付く、八戸地方に欠かすことのない、儀式的な様相のあるお祭りです。この伝統は、一人の力では、決して継承していけるものではありません。


親方を失った荒谷えんぶり組が今年新しい一歩を踏み出したことは、伝統芸能や地域の未来を考える上で、大変意義深いことなのではないかと感じました。
八戸えんぶりの期間は年にたった4日。800年続く伝統からすれば、ほんの一瞬の出来事なのかもしれません。
でも、そのほんの一瞬、誰か一人でも欠けたら、その伝統が今後永遠に途絶えてしまう事になるかもしれません。
伝統は、みんなで守るもの。春日さんが荒谷地区に残した精神が荒谷えんぶり組の伝統を守ったことは、言うまでもありません。



えんぶりとは、この八戸地方の大地を取り巻く、命そのもの。
毎年2月になると、八戸には太鼓と手平鉦、笛の音が鳴り響きます。そしてキリッとした表情の太夫と、真剣ながらも可愛らしく舞う子供達、それを見て拍手をしたり涙を流したりする観衆の姿が溢れます。


えんぶりに取り組む人々の間には、いつも互いを称え合い笑顔を交わし合う姿があります。えんぶりのあるところには、いつも暖かい空気があり、涙を流すほどの感動があります。
僕は地域の歴史や伝統のことなどこれっぽっちもわからない勉強不足な人間ですが、800年経った今でもえんぶりを深く愛する人がこんなにもいる八戸地方は、本当に底力がある地域だと思います。
そしてこのえんぶりを経て、八戸に春がやってきます。もし八戸にえんぶりがなかったら、、、もしかしたら今とは違った街になっていたかもしれません。
そう考えると、えんぶりとは、この地域に底力を与える、命そのものなのではないかと感じた、今年の八戸えんぶりでした。

スポンサーリンク

0 件のコメント :

コメントを投稿

コメントしてってね♪