2015年11月5日の蕪嶋神社の様子を、
写真と空撮動画でお伝えします。
久しぶりのブログ更新はとても残念な話題となってしまいました。
海から栄えた青森県八戸市のシンボル的存在とも言える場所「蕪嶋神社」が全焼するという出来事が起こりました。
どうしてこのようなことが起こったのでしょうか・・・。
今日の蕪嶋神社と蕪島の様子を速報でお伝えします。
今回の記事では八戸市を中心に映像事業を展開する「八戸空撮」さんが撮影された最新の様子もお伝えします。
八戸市のシンボル、全焼。
11月5日午前4時25分頃、八戸広域消防本部に警備会社から通報が入ったそうです。
青森県警では社殿の内部から出火したとみて原因を調べているとのこと。
鎮火は午前9時頃。とても長い時間にわたって燃えたんですね・・・。
蕪嶋神社は港町八戸のシンボル的存在でもありました。
水産科学館マリエントの踏切付近の場所から、ズームで撮影。
社殿が大きく焼け、骨組みがむき出しになっているのがわかります。
様子を見に来た人たちは、言葉を発することなく、変わり果てた愛すべき場所の姿を眺めていました。
神社の近くに移動してみました。
頂上の鳥居の奥には、昨日まで立派な神社が立っていました。
それが一番にして消失。今は鳥居の向こうに青空が広がるのみ。
向かって左側へ移動。建物の一部が少しだけ残っていました。
この建物のすぐそばで、今年もたくさんのうみねこの雛が生まれ、大きく育ちました。
うみねこが飛来しているときは壁や窓、屋根など、建物のいたるところに糞が付いていて・・・
美しくはありませんが、、、それはそれでうみねこの営みが感じられて、神社の弁財天様の御加護で命が育まれているのだなと感じたものです。
さらにズームすると、窓ガラスが割れ、屋根が剥がれ、骨組みがあらわになっています。
東日本大震災の津波を免れ、三陸復興国立公園の玄関口に。
2011年3月11日起きた、東日本大震災。
八戸は他地域と比べると小さかったものの、それでも大変大きな被害が出ました。
神社の立つ蕪島の麓まで津波が押し寄せ、麓にあったトイレは全壊。
近くにあった鮫観光協会の建物も壊滅的な状況となりました。
幸い、標高17メートルの蕪島の上に建つ蕪嶋神社は、巨大津波を免れました。
700年前に弁財天の「尊像御鏡」が海から浮かび上がってきたことが起こりとされる、大変歴史のある神社。
鮫地区の皆さんが本当に深く深く愛し、寄り添ってきた場所です。
それがたった数時間にして消失してしまった・・・と考えると、胸が締め付けれられる思いです。
2013年には「三陸復興国立公園」に編入。
蕪島神社は三陸の復興のシンボルでもあるこの国立公園の「みちのく潮風トレイル」のスタート地点でもあります。
今年は麓に休憩所が完成し、現在は休憩所周辺の拡張工事が進んでいるところ。
これからますます楽しいことが起ころうとした矢先での出来事でした。
三体の弁財天像のうち、一体は無事か。
記憶が正しければ・・・ですが、蕪島神社には三体の弁財天像があったと記憶しています。
そのうち一体は明治の廃物毀釈によって近くの浮木寺(ふぼくじ)に納められました。
蕪嶋神社に残った2体は12年に一度ご開帳が行われますが、2013年には約140年ぶりにもう1体の弁財天像が神社に戻るという特別な開帳が行われています。
おそらく、この1体は現在も浮木寺に残っているものと思われます。
蕪嶋神社はそのほとんどを失ってしまいましたが、この弁財天像が、復興のシンボルとなることを期待します。。。
11月5日現在の空撮動画
八戸市を中心に映像事業を展開している八戸空撮さんが、火事後の様子を撮影されていました。
特別にご許可をいただいたので、ここに掲載します。
動画を見ると、社殿のほとんどが跡形もなく燃えてしまったことがわかります。
神社の奥まで原形をとどめていませんから、御神体も燃えてしまったでしょう・・・。
うみねこたちを観測する小屋は、今でも健在のようです。
失うことで、得る。
失って初めてわかることはとても多いと思います。
2015年11月5日、青森県八戸市は、この町のシンボルである「蕪嶋神社」の建物を失いました。
この場所は、三陸の復興を象徴する国立公園の出発地点であり、
3〜4万羽ものうみねこの繁殖の様子を間近で観察できる貴重な場所であり、
4月には「蕪嶋まつり」、7月には「さめ浜まつり」、12月31日には「カウントダウン」が行われる、八戸市鮫地区の人たちの集いの拠点でもあります。
建物の天井には鮫小学校の児童が描いたいくつもの うみねこの絵がありました。
多くの人たちの思い出や地域愛がいっぱい詰まった、大切な大切な場所。
東日本大震災の津波にも耐え、地域に勇気を与えてくれた場所。
おそらく、神社には貴重な資料や品々もたくさん納められていたことと思います。
今日の昼ごろ、神社の近くにはたくさんの市民の姿がありました。
境内に登ることはできませんでしたが、
ほとんどの人が、ただただ蕪島の頂上を眺めていました。
私たち八戸市民は、この貴重な場所をたった数時間で失ってしまいました。
そして一つ、改めて気づいたこともあります。
「みんな、この場所が大好きだったのだ」と。
私たち八戸市民の地域愛は、変わらずここにあります。
きっと再びこの場所に、私たち市民が胸を張って誇ることのできる景色が蘇ると、強く信じています。
きっと来年もこの場所で、多くの新しい命が誕生するでしょう。
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