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2017年8月27日日曜日

八戸三社大祭の山車はもっと豪華にするべき?それとも小さくするべき?

約300年にもわたって続いてきた八戸三社大祭。
山車の「変化」について考えてみました。
日照りが続いたことを心配した町の有力者が、藩に対して「法霊大明神にて祈祷を行い天候が回復したなら、例年の御祭礼を賑々しく執り行いたい。」と申し出た事から始まった、神輿渡御のお祭りです。山車は町の悪疫を追い払うとされています。時の流れと共に少しずつ規模を大きくし、現在は大小さまざまな27台の山車が参加するお祭りへと成長しました。期間中の入込数は100万人を超える、青森県南最大の山車祭りで、青森県最大の神事でもあります。
この三社大祭の主役はまぎれもなく神輿ですが、神輿は町にご利益を与える神聖な存在。対して附祭として神輿のお供をする山車は、街に元気を与える存在です。
27もの町内単位の山車は、毎年作り変えられ、そして少しずつ少しずつ変化しています。

今回はとある方から「山車の変化をテーマに記事を書いてほしい」とお題をいただいたので、僕の感じていることを綴っていきたいと思います。
僕は山車を作った経験はなく、これまでは一般客として沿道で三社大祭を観てきました。
なので、山車を作っている方々とはお祭りに対する考え方が違うかもしれません。もし不快に思われたり、間違ったことを書いていたら、申し訳ありません。


三社大祭の歴史は、「変化」の歴史。
三社大祭の始まりは享保6年(1721年)、前述のように法霊大明神(=おがみ神社)で始まりました。
時を経て、おがみ神社単体の祭礼から、新羅神社、神明宮を加えた三社合同の祭りへ。
町の商店の店先に飾られていた人形は、のちに引き子とお囃子を連ねた風流山車へと変化し、資料によれば明治41年(1908年)には既に「やーれやーれ」の掛け声が町を飛び交っていたと言います。

江戸時代の人形山車「太公望」。現在でもおがみ神社に保存されています。
ここ数十年での山車の巨大化は著しく、仕掛けも複雑化。数体の山車人形や動物の組み合わせだったシンプルな山車は、今や左右に大きく開き、上にぐーんとせり上がる立派な山車へと成長しました。大きな山車だと高さ10メートル、横幅8メートルにもなります。
これが、八戸三社大祭が「豪華絢爛な山車絵巻」「日本一の山車祭り」と呼ばれる所以なのだと思います。


しかし実際のところは、昔ながらの味のある山車組もあれば、個性豊かな山車を作る山車組もあり、「大小さまざまな個性豊かな山車が見られる祭り」という表現がしっくりくるのではないか、と思います。

今の山車と昔の山車、どっちが好き?
三社大祭の山車は本当にさまざまに変化してきました。昔と今を比べると、まるで別の祭りのようにも見えます。
鍛冶町附祭若者連より過去の写真を提供いただき、比較してみました。
鍛冶町さん、ありがとうございます。

例えば・・・
こちらは、今から68年前の昭和24年(1949年)の鍛冶町附祭若者連の山車です。
今よりもかなり小さいのがわかります。(街並みも味があっていいなぁ。)


続いて28年前、平成元年(1989年)の山車。
だいぶ大きくなりましたが、それでも今の山車より小さく見えます。


最後に今年、平成29年(2017年)の山車。
かなり大きくなって、後ろに桜や楓などがついたバッタンコがくっつきました。奥行きもあります。


ご覧いただいたように、長い歴史から見れば、たった数十年の間で山車はこんなにも変化しました。
なので、世代によって「三社大祭の山車はこういうものだ」という考え方は全く違うかもしれません。
昔の祭りの姿を知る世代の方々は小さくてシンプルな山車を好む方もいらっしゃいます。
そして僕のような20代30代の若い世代の人々は、大きくて立派な山車を見て育ってきましたから、やはり大きな山車に魅力を感じます。
もちろん、六日町附祭若者連のような小さくてもインパクトのある昔ながらの山車にも、現代のスタイルとは違った魅力を感じます。

現代の山車は、全部大きい?
大きく豪華な山車はとても迫力があって、観光客や多くの市民の注目を集めます。
昔ながらの山車は、八戸三社大祭の伝統を守っていくうえで欠かせない存在ですし、昔の祭りを知っている人は「これこそ八戸の山車だ」と感じることでしょう。
そして個性豊かな山車は、創意工夫によってお祭りに新しい息吹を吹き込む存在です。


このように「山車」と言っても、そのスタイルは様々で、考え方や作り方も多種多様です。
「27組、どの組が欠けても八戸三社大祭の附祭は成立しない。」
現代の三社大祭の山車の多様性は、祭りに携わる人々の情熱があってこそであって、この多様性も現代の八戸三社大祭の魅力であると思います。

記憶に残る山車。記録に残る山車。
どちらも素晴らしい。
八戸三社大祭では例年、山車の審査を行っています。
27組の山車組の代表者たちによる審査と、非公表の数名の審査員による審査です。
山車づくりに対する考え方は組によってそれぞれで、作り手一人一人の心の中でも違うと思います。
入賞することを目標としている組もあれば、入賞する事を想定せずに作っている組もあります。


そして、「記憶に残る山車」には、やはりいつも感動させられます。
その「記憶に残る」とは「個性」があってこそだと思います。
最優秀賞の常連である吹上山車組の豪華さ、美しさ、バランスの良さは本当に素晴らしいですし、何処を見ても一切隙間がなく、山車づくりの緻密さには本当に感動させられます。その精神には、本当に敬服するばかりです。
六日町附祭若者連の山車は、小さいながらも個性的で、現在の三社大祭の風潮に流されず伝統的な山車を作っている姿勢に、一本の筋が通ったこだわりを感じます。六日町はファンが多い山車組だと思います。
御祝いネタの淀山車組は毎年きらびやかな山車で祭りを盛り上げてくれますし、筋の通ったこだわりを感じます。そしてお囃子がとても元気で、街を明るく盛り上げてくれます。
鍛冶町附祭若者連は大きな山車でありながらも人形一つ一つの表情や、物語の配置、山車全体に漂う空気が、我が道を行くという感じがして、他の組とはベクトルが違います。


そしてどの山車組の山車も、その地域地域の人たちの期待を一身に背負っていて、7月31日の前夜祭で山車が披露される瞬間は何とも言えない感動に包まれます。
そういった点で、審査による順位は付けられてしまうものの、全ての山車組が最優秀賞に匹敵する情熱を以って取り組んでいるという事は揺るぎない事実であると思います。
これが毎年のように繰り返されているという点で、八戸市の各町内の結束力の強さには感心させられます。
この結束力の強さこそが、ユネスコ文化遺産に登録された大きな理由であると思います。
「地域の結束がユネスコに認められた」。これは、山車組に携わる一人一人に与えられた勲章だと言っても良いと思います。

ですから、審査はあるものの、それぞれの山車組の持ち味を生かしつた山車作りが続いていくことが、祭りをより面白くしていくのではないかと思います
観客の立場からすれば、大きな山車も小さな山車も、いろんな山車があった方が面白いからです。
そして何より、山車組に関わったことの無い一般市民の中にも、毎年山車の完成を楽しみにしている隠れファンがいっぱいいるからです。


それぞれの山車組に、必ず隠れファンはいると思います。
ですから、27のすべての山車組が1つの方向に向かって行く必要はなく、「みんな違って、それでいい」の現在の状態で良いと感じています。
安全な運行のためにはしっかりと基準を設ける必要はあると思いますし、少子高齢化で後継者不足が心配される中ではありますが、山車の大きさやスタイルを一本化する必要はないと思います。
それぞれの組の個性こそが、現代の三社大祭の山車行列の魅力だと思うからです。

三社大祭の歴史と、未来。
山車を作っていく中で新しい技法や技術が生まれ、他の山車組のアイディアや技術に感化され、また少しずつ少しずつ、年々山車が深化していく・・・。
これが、三社大祭の変化の歴史を作ってきたのではないかと思います。
「◯◯年のあの組のあの山車、ほんと良かったよね!」なんて会話がファンの中で繰り広げられるのは、やはり山車それぞれに違いがあるからこそです。


時代に合わせて新しくもなり、古さも感じさせる。三社大祭の山車は、まさに温故知新の精神に満ちていると思います。
ですから、「いろんな山車があって、それでいい。いや、それがいい。」と思います。
山車のサイズに関しては色々な議論や考えがあると思いますが、おそらく今後も結論にたどり着くことはないでしょう。
ですから僕は、これまで通り少しずつ少しずつ深化する事が、最も好ましいのではないかと思います。
歴史の移り変わりとは、温故知新とは、そういうものだからです。
何か大きな力でいきなりスタイルを変えることはしない方が良いでしょう。


そして大切なのは、こども達のために山車を作る事だと思うのです。
これは「えんぶり」にも言えることですが、八戸の祭りはこどもが置き去りにされておらず、大人と同等の役割を担っているということろが本当に素晴らしいと思います。


八戸のお祭りは大人も子供も同じ目線で一緒になって楽しめるお祭り。
こども達は山車の完成を心待ちにしています。そして完成した山車を胸を張って引っ張る事は、本当に誇らしいことだと思います。子供達のその姿を見て、親や地域の人たちは涙することもあると思います。
大人も子供も「おらほの山車」を誇りに思い、一緒になって胸を張って山車を引っ張る事ができる・・・・これこそが三社大祭の「最高の姿」です。
この家族にも似たような一体感こそが、三社大祭の山車の素晴らしいところです。
規模が大きくなったことにより程よく観光化されつつも、地域単位でのお祭りの姿を色濃く残しているのです。


ですから、本番になって山車が故障したりと言ったことは極力ない方が良いと思います。山車は皆の想いの結晶ですから。
ゴールに向かって一生懸命に引っ張る途中で、山車が動かなくなってしまったら、子供たちはどれだけ肩を落とすでしょうか。
これは、賞をとる事よりも、観光客をおもてなしすることよりも大切なことなのではないかと思います。
子供達は大人たちの姿を見て育ちます。
そしてお囃子練習や、山車が完成に近づく様子を見てお祭り愛を育んで行きます。
その子供達の純粋な思いを、お祭りの最後の最後まで大切に大切にして祭りを終えることが、何よりも大事だと感じます。


神輿渡御によって町の悪疫を取り払うのがこのお祭りの姿です。
お祭りによって子供たちの精神を少しでも成長させ地域を一つにしていくことが、山車組のひとつの役割ではないかと感じます。


八戸三社大祭の山車には、みんなの思いが宿っています。その思いは、山車を引っ張る子供たちや町の未来に向けられるべきであると思います。
そしてその思いとは、この祭りを受け継いできた先人たちの想いも含めた、「300年分の想い」です。

祭りは、子供たちの心を育て、地域の未来を作っていくもの。

山車は、古きを守りつつも時代の変化に合わせ、創意工夫を繰り返して少しずつ変化していくもの。
八戸三社大祭の山車は、そういう自然な流れの中で創意工夫を加えながら変化してきたのだと信じています。

そしてこれからも、地域や子供たちへの思いを胸に、心温まる愛情のこもった山車が次々と生み出されていくのだと思います。

一言でいえば、山車の「変化」とは「思いの表れ」なのだと感じます。
そして深い深い思いがあるからこそ、今もなお山車は変化を続けているのだと感じています。
だから三社大祭は面白い。そして、だから感動する。そう感じた、2017年の三社大祭でした。


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最後までお読みいただきありがとうございました♪
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3 件のコメント :

  1. 記事を読ませて頂きました。確かに300年の長い歴史の中で山車の大型化はここ数十年でしょう。我が山車組も大型化のきっかけになった組の一つだと思います。ですが大型化(豪華さ)も、ほぼ限界に近いのではないかと思っています。しかしその中でも試行錯誤しいかに綺麗により豪華に魅せるかは、どの山車組の方々も同じ様に思っていらっしゃる事でしょう。次世代に引き継ぐ為にも今、私達がやるべき事をしっかりと責任を持ってやっていきたいと思っています。 1日のお通りではご披露したかった新たな試みも初歩的なトラブルにより披露出来ず、またご迷惑・ご心配をお掛けしました事を改めてお詫び申し上げます。

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    1. 松橋様
      こめんとありがとうございます。管理人のmamoです。三社大祭の山車は、いろいろな思いがあって様々に変化してきたのだと思います。その「変化」とは、巨大化であったり、巨大化せずとも創意工夫することであったりと、山車組によって様々であると感じました。これからは少子高齢化が深刻化していくでしょうから、お祭りの未来も少し不安です。ですが、松橋様を含め、情熱的に関わっている人々がこんなにもたくさんいることは、街の明るい未来を予感させてくれます。
      えんぶりも三社大祭も、八戸の祭りは「すべての年代の人たち」が輝いています。ですから、少子高齢化の波で山車組の数が減ったりしても、思いを寄せ合って祭りは続いていくと思います。
      その歴史の過程にいらっしゃる27組の山車組の皆さまや関係者の皆さまには、本当に頭の下がる思いです。
      貴山車組の山車は毎年個性的で、毎年楽しみにしております。毎年、深く深く感動しております。本当にありがとうございます。

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  2. しゅうげん2017年8月28日 19:57

    三社今昔物語、とても楽しく読ませて頂きました!全部の山車が大型化してしまってはつまらないですよね。それぞれの組の個性があるから観ていて飽きないし、
    応援のしがいもあります。今年は仕事の都合であまり見れなかったのですが、山車もいいけど祭りを楽しんでいる子供達を観ているのが楽しかったです!
    mamoさんの写真もイイですね~^^ ではまた!

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